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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)27号 判決 1990年1月30日

原告

井上光行

被告

青梅労働基準監督署長

右指定代理人

古谷和彦

中島和美

八幡泰彦

西村誠一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告が昭和五九年四月二五日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取消す。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二請求の原因

一  原告は、昭和四〇年一〇月六日、東京都西多摩郡奥多摩町小丹波五八〇所在の株式会社昭和石材工業所古里鉱業所の切羽貯槽において作業していたところ落石が頭部に当たり、頭蓋骨骨折、脳挫傷、頸髄根性損傷、頸部、左肩挫傷の各傷害(以下「本件原傷病」という。)を受け、奥多摩病院において加療の結果、昭和四一年五月一七日治ゆした。

二  その後、原告には頭痛、めまい、耳鳴り等の症状があったが、昭和五七年三月ころには頭痛、めまい、耳鳴り、左半身のしびれ、軽度の歩行困難、極度の肩凝り、首の痛みの症状が激しくなったので、原告は昭和五七年三月二九日から同年四月七日まで及び昭和五八年一二月二日から同月五日までの期間福岡県飯塚市所在の飯塚病院において診療(以下「本件診療」という。)を受けた。

三  原告が本件診療を受けなければならなかったのは、本件原傷病が再発したためである。

四  そこで、原告は本件診療に要した費用の療養補償給付を請求したが、被告は昭和五九年四月二五日付で再発とは認められないとして不支給処分(以下「本件処分」という。)をした。

五  原告は本件処分に対して審査請求をしたが、審査官は昭和六〇年八月二〇日付でこれを棄却し、原告の再審査請求に対し労働保険審査会は昭和六二年一二月二二日付でこれを棄却する裁決を行った。

六  しかし、原告は本件原傷病の再発により本件診療を受けたのであって、本件処分は違法なものであるからその取消しを求める。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因に対する認否

1  請求の原因一の事実は認める。

2  請求の原因二の事実のうち、原告が昭和五七年三月二九日から同年四月七日まで及び昭和五八年一二月二日から同月五日までの期間飯塚病院において診療を受けたことは認め、その余は知らない。

3  請求の原因三の事実は否認する。

4  請求の原因四及び五の事実は認める。

5  請求の原因六の事実は争う。

二  被告の主張

1  現傷病が旧傷病の再発であるとして労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による療養補償給付を受けるためには、再発が治ゆによって一旦消滅した労災保険法上の療養補償給付義務を再び発生させるものである以上、現傷病と業務上の傷病である旧傷病との間に医学上の相当因果関係が存在していること、治ゆ時の症状に比して現傷病の病状が憎悪していること及び治療を加えることによってその効果が十分期待できることが必要である。

2  原告に対して昭和五七年三月二九日以降に診療をした機関である飯塚病院及び久留米大学病院の医師は原告の病状について医学的意見を次のように述べている。

(一) 飯塚病院の鈴木高秋医師は意見書において、原告が、めまい、耳鳴り、頭痛、左半身のしびれを訴え来院したこと、受診した結果の神経的所見では腱反射の左側上下肢昂進は認められるが病的反射は明瞭ではなく、知覚障害についても左側しびれ感を訴えるが著明ではないこと、精神所見については心気傾向、刺激傾向にあり、やや無遠慮、抑制欠如すること、CTスキャン、脳波検査結果では右側頭部中央部に低電位層が認められ、低電圧睡眠波様所見、境界領域所見を示すこと、総合的には右側頭部挫傷による神経、精神症が残存しているものであり、これは受傷時における頭部外傷に基づくものと考えられることを述べている。

(二) 久留米大学病院脳神経科正島隆夫医師は意見書において、原告は、左耳鳴り、左半身しびれ感、肩のこわばり、時々足がもつれる等の訴えにより受診したこと、神経学的検査でははっきり異常所見は認められなかったこと、頭蓋レ線上左前頭骨に陳旧性の骨折線を認めたほか頭部CTスキャンで右側頭葉外側部に低吸収域を認め脳挫傷による瘢痕と思われたこと、自覚的な耳鳴り、左半身知覚異常は他覚的所見に乏しく受傷後相当期間がたっておりその間どういう症状がどの様に経過したのか詳細がわからないので最初の事故の後遺症が残存しているのか他の新たな病気により訴える症状が出現したかはよくわからないことを述べている。

3  被告は、原告の右診療機関の診療結果及び検査結果に基づき、東京労働基準局医員天野恵市医師の意見を求めたところ、昭和五七年三月二九日及び昭和五八年一二月三日撮影の頭部コンピュータ断層写真の所見から考えて現在の患者の訴えと昭和四〇年一〇月六日の外傷とを直接結びつける根拠は見当たらないとの所見を得た。

4  以上のとおり、原告の訴える現在の傷病は昭和四一年五月一七日治ゆした本件原傷病の再発とすることは、他覚的所見に乏しく再発と認める医学的根拠もないから、原告の現在の傷病と原傷病との間に医学上の相当因果関係は存在しないというべきである。

なお、原告の現在の傷病の程度は、昭和四一年五月一七日の治ゆ時の後遺症(傷害等級第一二級で給付)の範囲を超えるものではなく、この点においても再発とは認め難い。

5  よって、被告の本件処分は正当であり適法である。

第四被告の主張に対する認否

一  被告の主張1の事実は認める。

二  被告の主張2の(一)及び(二)の事実のうち意見書の記載が被告主張のとおりであることは認めるが、原告の病状については一部否認する。

三  被告の主張3ないし5の事実は否認する。

第五証拠(略)

理由

一  本件療養に至る経緯

当事者間に争いのない事実並びに(証拠略)及び原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

原告は、昭和四〇年一〇月六日、東京都西多摩郡奥多摩町小丹波五八〇所在の株式会社昭和石材工業所古里鉱業所の切羽貯槽において作業していたところ、落石が頭部にあたり、本件原傷病を負った(この点は当事者間に争いがない。)。奥多摩病院における加療の結果、原告は、昭和四一年五月一七日治ゆした(この点は当事者間に争いがない。)が、治ゆ時における残存障害の状態については、奥多摩病院森田信行医師作成の診断書には「頭痛、めまいを時々訴える。頭骨、上部根性損傷による後頭神経領域の知覚異常を訴える。」と記載され、関東労災病院大野恒男医師作成の意見書には、原告の主訴として「頭痛、頸部痛、耳鳴り、体がふらつく、眼がつかれる、左眼視力低下、左上下肢のしびれ、根気がない、物忘れする、眠くて困る、性欲低下」が列挙され、他覚症状及び検査成績として「全身所見並びに諸検査成績は特に所見はない。脳、脊髄に関する所見はない。左第二から八頸神経根領域の知覚鈍麻と上腕筋群の軽度筋力低下をみとめる。レ線所見として右頭頂、側頭部に線状骨折を認める。頸椎症の所見をみるのみ。脳波所見は軽度異常。耳科的所見として内耳性聴力障害を認めるが前庭機能には変化をみない。眼科的所見としては視力が両眼とも〇・七で眼底にも異常を認めない。」との記載があり、総合意見として「頸椎損傷(脊髄には損傷はない)の治療はもはや不要であるので治ゆとしてよい。」との記載がある。

原告は、治ゆ後障害が残存するとして障害補償給付の請求をしたところ、労働基準監督署長は頭部外傷後遺症及び頸椎損傷に関する障害を認め、障害等級第一二級と決定し同等級相当額の障害補償給付を支給した。さらに、原告は本件原傷病が再発したとして昭和四一年八月二七日から福岡県山田市所在の松岡病院において頭部外傷後遺症の傷病名のもとに診療を受け、この療養のために休業した同日から昭和四二年一一月三〇日までの期間の休業補償給付を請求したが、被告は本件原傷病の再発とは認められないとして不支給処分をしたところ、原告はこの処分を不服として審査請求をしたが審査官は昭和四三年七月三〇日付でこれを棄却した。原告は右決定を不服として再審査請求をしたが、労働保険審査会は昭和四五年九月二五日付でこれを棄却した。

昭和四五、六年ころから、原告は弟が経営する大阪府富田林市所在のプラスチック工場に勤務するようになったが、昭和五二年ころ同工場が焼失してしまったために福岡県山田市に戻り建築請負業を自営していたところ、昭和五五年二月二四日建築現場で仕事中に脚立から転落して負傷し、右前額部、右手挫創、頸椎、臀部挫傷の傷病名で加療後、昭和五六年八月一日に筑豊労災病院に転医し、同病院において頸椎捻挫の傷病名で加療した結果、昭和五七年四月二八日をもって治ゆと診断された。その後、原告は左半身がしびれる、歩行時に物につまずくことが多いことを理由として障害補償給付を請求し、これに対し福岡労働基準監督署長は局部に神経症状を残すものと認定して障害等級第一四級に応ずる障害補償給付の支給を行った。

そして、原告は昭和五七年三月二九日から同年四月七日まで及び昭和五八年一二月二日から同月五日までの期間福岡県飯塚市所在の飯塚病院において診療(本件診療)を受けた(この点は当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  そこで、原告が本件診療を受けたのは、本件原傷病が再発したからであるといえるか否かについて検討する。

1  労災保険法における再発の概念は、原傷病の治ゆによって一旦消滅した労災保険法上の療養補償給付の権利を再び発生させるものであるから、再発によって労災保険法による療養補償給付を得るためには、治ゆ時の症状に比較して現在の傷病の症状が憎悪していること、現在の傷病と原傷病との間に医学上の相当因果関係が存在していること、治療を加えることによる効果が期待できるものであることが必要であると解するのが相当である。

2  まず、治ゆ時の症状に比較して現在の傷病が憎悪しているといえるかについて判断する。

原告の現在の傷病の症状については、以下の証拠が存在する。

(一)  乙第六号証(飯塚病院鈴木高秋医師作成の昭和五九年二月二二日付意見書)

この意見書の記載の要旨は以下のとおりである。

原告の主訴及び自覚症状は、めまい、耳鳴り、頭痛、左半身のしびれであった。神経所見では、腱反射の左側上下肢昂進は認められるが病的反射は明瞭ではなく、知覚障害については左側しびれ感を訴えるが著明ではない。精神所見では、心気傾向、刺激傾向にあり、やや無遠慮、抑制欠如と認められる。CTスキャンによれば右側頭部中央部に低電位層が認められ、脳波所見では低電圧、睡眠波様所見を示し、境界領域所見を示した。

(二)  乙第七号証(久留米大学病院脳神経外科正島隆夫医師作成の昭和五九年三月一五日付意見書)

この意見書の記載の要旨は以下のとおりである。

原告は、昭和五七年四月八日受診したが、主訴及び自覚症状は左耳鳴り、左半身しびれ感、肩のこわばり、時々足がもつれるであった。神経学的検査では、はっきり異常所見は認められなかった。頭蓋レ線上左前頭骨に陳旧性の骨折線を認め、頭部CTスキャンでは右側頭葉外側部に低吸収域を認め、脳挫傷による瘢痕と思われた。自覚的な耳鳴り、左半身知覚異常は他覚的所見に乏しかった。

(三)  原告本人尋問の結果

昭和五七年三月二九日に飯塚病院で受診療を受けたころには足のふらつきが直らなかった。

以上のいずれの証拠によっても、原告の現在の傷病の症状は、自覚症状としても原告が本件原傷病の治ゆ時に訴えていた頭痛、めまい、頸部痛、耳鳴り、体がふらつく、眼がつかれる、左眼視力低下、左上下肢のしびれ、根気がない、物忘れする、眠くて困る、性欲低下という症状と基本的に異なるところはないこと、他覚的所見においても本件原傷病治ゆ時のものと本件診療時のものには特段の変化はないことが認められ、結局原告の現在の傷病の症状は、本件原傷病の治ゆ時の症状に比較して憎悪したものとは認められない。

3  次に、現在の傷病と本件原傷病との間に医学上の相当因果関係が存在しているといえるかについて判断するに、本件原傷病の治ゆ時から本件診療が最初に行われた昭和五七年三月二九日までの期間は一五年以上に及ぶこと、前記認定のとおり、この間原告は昭和四五、六年ころから昭和五二年ころまでプラスチック工場に勤務し、その後は昭和五五年二月二四日に建築現場で負傷するまでは建築請負業を自営していること、弁論の全趣旨によれば昭和四五、六年ころから昭和五五年二月まで原告は本件原傷病が悪化したとして診療を受けたことはないことが認められること等の本件原傷病の治ゆ時から本件診療に至る原告の症状の経過によれば、原告の現在の傷病と本件原傷病との間には医学上の相当因果関係は存在しないというべきである。

4  まとめ

したがって、原告が本件診療を受けたのは、本件原傷病が再発したからであるとは認められないといわなければならない。

三  以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本剛史)

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